易学と占卜と時代背景

 易学と占卜は一応、区別します。
 易学は、易学全般、全体、占卜は、一部の分野の姿です。
 というわけで、占卜は、占術としての易全般です。
 日本の本屋へ入れば、周易や易経の解説本を多く見かけます。
 易学はある意味においては、「思想」「哲学」でも通用するかもしれませんね。
 四神殺も子平命理学で使いますが、出来れば、これは、高齢者が使われるのが宜しいと思いますね。
 易学の方に話を戻せば、宋代(960年~1279年)、元代(1279年~1368年)、明代(1368年~1644年)、清代(1644年~1912年)まで、四代で其々に異なる事が多いです。
 まず、明代には、来知徳(1525年~1604年)がいますね。
 彼は、宋代(960年~1279年)の、程氏兄弟、朱子に反対し、独自の易学世界を展開しました。
 そして、その次に、今度は、清代に、江永(1682年~1761年)の河洛精薀で、来知徳が、否定され、今度は、納甲原理が取り上げられ、これが、河図洛書の一体であること、先天と後天が一体であることを説くとして、評価されました。
 占卜の原理として、納甲原理を(影響を受けている)色濃く引き継ぐのが六爻卦(五行易)です。
 日本は、こうした歴史的考察が少なく、断片的な伝わり方しかしていませんね。
 清代は六爻卦の双璧である、卜筮正宗と増削卜易が出た時代です。
 言ってみれば、納甲原理の全盛時代が清代であるといえます。
 今日、様々な易占、易学の系統と出会うのが、私達ですが、その歴史をしっかりと確かめておきたいですね。
 いつか、また、歴史の証人として、易学の発展に寄与できれば嬉しいですね。
 それでは本日はこの辺で。



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