日本での風水術の発展の背景の整理。

 さて、9月12日~14日の間にかけ、胃腸病で動けず、この関係の立卦も少ししました。
 すると、完治する形で収まるのは、27日酉時であろうということです(この日は草刈りデーですが、私自身は参加致します)。
 今参加している気功教室も、後2回で終了を決定(呼吸法なのに、マスクかけていれば、確認できないし、確認できないのにやることは、間違えれば、詐欺といわれます、気功に限らないが、気の理解があるなら、閉会をすると思うが、それができない、結論的に気と日本人という民族は、取り合わせが悪いことを証明した話です、私自身は閉会を進言し続けてきたが聞き入れられず)。
 風水術の問題も「気」の読み方の問題(雰囲気や気配ではなく、気を数字や格局にするのが風水術ですからね)。
 明代(1368年~1644年)に成立した、紫白九星派は、陽宅の室内の気を紫白九星の判断と宮で判断します。
 清代(1644年~1912年)に成立した、八宅派は、本命卦から、室内の方位で理気を判断します。
 清代(1644年~1912年)に成立した、玄空飛星派は、屋外の状況と室内の関係で判断をします。
 理気の風水術は、TVや新聞にとって都合の良い技術になり下がっている感じがして、本当に技術とは言えませんね。
 言い方を変えれば、「風水術」として、玄空飛星派や八宅派が入ってきても、「使える」とかなんとかの問題の前に「翻訳する人」が必要不可欠ですから、ある意味、「伝えない」のが風水術でもあります。
 実は、奇門遁甲の盤を看ると、酉月(9月7日~10月8日)で、陰宅風水の方と奇門遁甲の方で応期があるんですね。
 1つは、祖母の安葬。
 2つは、奇門遁甲。
 この2つ目が問題ですね。
 古典書なら、何とかなるでしょうが、解釈や理論だと大変。
 そもそも、玄空飛星派自体が奇門遁甲の理論の一部を独自に発展させているので(また、風水術と奇門遁甲は流派で両方が伝承される伝承文化があるので)、意外な形ではあるが、1、奇門遁甲、2、玄空飛星派、3、八字が一応、対応する可能性があるとは考えます。
 日本人だと、「1つずつバラバラ」と考えるが、中国語の古典書だとそういうこともないですね。
 今月出た応期は、2種類両方答えが出そろったので、後は結果次第。
 結果的な判断ではありますが、風水術は、「面倒」「厄介」なものが「本物」なので流行らないんですね。
 理論的にも整合性が取れる結論です。
 それでは、本日はこの辺で。



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