都会の風水と田舎の風水-田舎暮らしも都会暮らしも考え物と思えるほどの状態。

 田舎と都会のどちらの風水状況の優劣を論じ続ける人が少なくありません。
 私自身から考えると、結論的には「どちらもの考えものですよ」と思います。
 都会だと正しい知識や理論に恵まれる結果、正しい知識や理論が偏重され、都会にいけば、まず(とはいえ、浜松市内では無理、近くても名古屋市、名古屋市は候補から外れているので、私自身の状況的に候補からは外れます)、正しい理論に恵まれる確率が高いです。
 田舎の風水=つまり、人が減っている=風水が悪化しているから減少する。
 都会の風水=人が増える=門外不出等の情報統制的な知識が密集して、閉鎖的・排他的になる=つまり来ること自体が難しく、そもそも、目的達成が難しい。
 言い換えると、「限界集落」のような状態になるのは、「風水的限界」が表に出てくることです。
 同時に、風水知識が無い(または間違っている場合)、「風水知識」が無いので、復活はかなり困難です。
 こういう事は、神原町の草取りを見ると分かりますね。
 人が増える=草の量が減る。
 草が増える=事件・事故が増え、人が近寄らなくなる、だから、草取りをしないから、予算も減る。
 予算が少ないは嘘、正確には、「草取りをする人を育ててこなかったから」というのが正解ですね。
 栄枯盛衰は世の常とは言いますが、「知識的・理論的」栄枯盛衰は、先ずは、田舎と都会の風水の状況を考える事です。
 立冬の時、乾山巽向(西山町の時はこれでした)の方位の家と墓、亥山巳向(神原町の自宅)の方位の家と墓に影響を与える事となります。
 先祖と家の関係からは、欽天四化派の来因宮+大限の関係は恐らく、大丈夫です。
 私は、兄弟宮が来因宮で、午+未+戌の宮に生年四化が入っています。
 ですから、午+未+戌の年月に注意すると、よく分かりますね。
 昨日、欽天四化派の蔡明宏老師の著書・欽天九紫銅人十八巷(上巻)の翻訳を終えました。
 正直な話、「欽天四化派」という流派自体、街頭占いの占い師が書く内容ではありません。
 南斗系は中国医学、北斗系は風水術の星という説明があり、風水術に詳しくなれるのは、北斗星系であることも大きいでしょう。
 風水術と奇門遁甲の技法は伝承が密接ですが、奇門遁甲の五不遇時は、中国の老師も吉とはしません。
 日本の奇門遁甲の進歩がないことは、基本的に、日本の奇門遁甲の先生たちが既得権益化しているからです。
 民間は、資料を執筆するとか、中国語の本を読むとか翻訳をするとかしないといけませんね。
 因みに、義理易は意味から取りますが、欽天四化派の紫微斗数は象数易です。
 それでは本日はこの辺で。



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